溶ラリ

溶接ラリアットでレベル99を目指すブログ

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運が悪くて怪我をしたのか運が良くて助かったのか

はたして今までの私達は完璧な安全作業だったと言い切れるのだろうか!?

無災害=安全作業にならないワケを考える。

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八戸の造船所の作業員は軽く1000人を超える。

幸いにも死亡災害は、ここ数年出ていない。

 

しかしながら、4日以上休む休業災害は数か月に一度の割合で発生する。 

不休災害は数知れず・・・。 

社内報で配られる災害状況の書かれた報告書に目を通すたび、 

これはケガをした作業員からのメッセージだ

と、自分に言い聞かせる。

 

 

「安全作業」ついて考える

安全という言葉を辞書で調べると「危険がなく安心なこと」と書いてあります。では、危険が無く安心なこととはなにか!?

安心という言葉を調べると「気にかかることがなく心が落ち着いていること」と書いてあります。

 

つまり、 

安全とは身の危険がなく心が落ち着いていること

ということになります。

 

 

私の班はこの数年間、不休災害(怪我による欠勤)を出していない。

では災害が起きてなければ、毎日安全作業で100点満点だっただろうか?

 

 答えはNOである 

 

「ヒヤリハット」と呼ばれる災害の一歩手前の状況になったことが今年になって3度ある。

その中の一つが、 

工場内で重さ約400kg(約4㎏×100本)の鋼材をクレーン操作で運搬中、

鋼材がバランスを崩し地上約60㎝の高さから滑り落ちた。いわゆる荷崩れである。

落ちた個所には人はいなく、バラバラになった鋼材を元に戻すのに15分程度の時間がかかった。

  

本人が言うには、

鋼材を吊った時点で少しバランスが悪いと感じていたが、大丈夫だろうと思っていた。 

 

この場合は、

吊った時点でバランスが悪い(水平ではない)のであれば、荷を水平に吊り直さなければならない。

 

また、

大丈夫だろう(過信)ではなく、落ちるかもしれない(疑心)と思うこと。   

 

さらには、

工程が厳しい中、私の指示で作業を急がせてしまい、心にゆとりがなく、慌てていたとも推察される。

 

よって、私の班のように、災害の無かった職場=毎日安全作業をしていたの図式は成り立たない。

 

 

事故には必ず原因がある 

たまたまうまくいっていた可能性もある。

しかし事故が起こるのには必ず理由がある。 

以前、野球の楽天イーグルス監督を辞任した翌年、野村克也元監督が八戸の公会堂で講演を行った際に,

勝ちに不思議の勝ちあれど負けに不思議の負けなし

と語った言葉が思いだされる。

 

運が良かった。助かった。は確かにある。 

運が悪くて事故を起こしたは絶対にない!

 

私たちは人間である。 

人間である以上失敗はある。だからリスクは存在する。

 

リスクを限りなくゼロにするためには、安全に対する知識や経験のほかに、「心身ともにゆとり」が必要である。

・仕事量と処理能力のバランス

・作業員自身の健康維持への行動 

マネジメントの「自己実現」の最大の目標のひとつとして、

 

65歳まで健康に働く

 

というのを班員に話している。

第2の人生を豊かにするためにも、今日、この日を「安全で健康に過ごすこと」が将来の自分への義務である。

 

 

「俺はこういう状況でケガをしてしまった。だからお前はケガをするな!」

 

配られた報告書からは、そんな声が聞こえる。