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Tig溶接でLV.99を健康的に目指すブログです。 春ですね!

12-05 今、この瞬間からその10倍を見ろ!の真意を知る

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 とある現場でそれはそれはお世話になった センさん という職人さんがいた。

 立場や年齢で人に対する対応が変わることなく、どんな人にも物腰の柔らかい対応で、技術のみならず人格的にも見習うべきところが随所にあり、この業界で尊敬できる数少ない職人の中の一人だ。

 会社が違うのに何故か20代そこそこだった私に、溶接の段取りから欠陥の補修方法まで、かなり細かいところまで教えていただいた。

 そのセンさんから、ある時こんなことを言われた。

 

『もし自分が溶接個所を見ているつもりなら、今この瞬間からその10倍を見ろ!』と。

 

 当時の私は「10倍見ろと言われても、、、何を?」っといった感じで、「まあ、今以上によく見ろって事なんだろうな」ぐらいにしか考えてなかったが、ようやくこの歳になって贈られた言葉の咀嚼、消化吸収が終わり、自分の身体の一部となったので、ここで一度言語化してみよう。 

 センさんは次のようなことを言いたかったんじゃないかな?

「みる」には三つの意味がある

 根本的に「みる」とはどういう事かと調べてみると、漢字では数種類出てくるが、ここでは以下の三種類の漢字を使うことにする。

溶接個所を視る
溶接個所を観る
溶接個所を診る

①溶接個所を視る

 

 視る…視覚によって対象物を認識する事。 

 

 次の画像は直径が2㎝程のとある溶接箇所を撮影したもの。まずはこれをどのように視るのかがポイントで、

 

【近距離…溶接個所から10㎝】
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 注視するポイントとしては、溶接姿勢、ビード進行方向、脚長、色、繋ぎ目の数、アンダーカットの有無、等が挙げられる。

 五感の内の一つである視覚に全ての意識を集中し、自身の聴覚、嗅覚が遮断され視覚を研ぎ澄ます。間近で目を見開いて視る事実のみを、限られた情報を、一つも漏らすことなく視覚ですくいあげる。近距離ではひたすら視る事。

 

【遠距離…溶接個所から約1m】

 溶接箇所そのものより製品全体を漠然と視る。

 溶接による全体の歪み、周囲の空気の揺らぎ、等といった事実のみを読み取る。

 光の反射で見え方が異なるので、視る角度を変えたり、立つ位置を変えて前後左右、場合によっては上下方向からの視点も持つ。

 溶接箇所を視るとは、近距離遠距離において、あらゆる角度から対象物を視ることにある。近距離遠距離において共通することは、ひたすら視ることである。うまく言葉にできなくても回数を重ねることで、自然と善し悪しの判断が付くようになり、「ここが違うのか」と違和感を感じる始まりとなる。

②溶接個所を観る

 

 観る…意識して眺める。見学する

 

 溶接箇所がどのように形成されていくのかを注意深く観察する必要がある。
 これは実際に溶接中の溶融池と溶接者の動作を観察するということになる。

 「溶接箇所を観る」にも近距離遠距離があり、近距離では溶融池周辺を観察する。タングステンの長さ、ノズルの動き、溶接棒の進入角度、等が挙げられる。 

 遠距離では溶接者の姿勢、重心の置き方、頭の位置、溶接の始め方、終わり方、トーチの動きの法則、左手の使い方、一度に溶接する距離、溶接者がどのような場所に道具を配置するのか、歪み解消のためにどの順番で溶接を進めるのか、等を観察する必要がある。

 「溶接箇所を観る」とは、現在進行形で形成される溶接箇所を観察する事である。

③溶接個所を診る

 

 診る…様子を調べて、状態を判断する

 

 完成された溶接ビードに指で触れて、どのような条件で溶接されたか自分なりの仮説を立て、診断する。

 

 アニメ「fate」の主人公 衛宮士郎(エミヤ シロウ) が作中で『トレースON』と呟く場面がある。

創造の理念を鑑定し、
基本となる骨子を想定し、
構成された材質を複製し、
製作に及ぶ技術を模倣し、
成長に至る経験に共感し、
蓄積された年月を再現する

トレース・オン!衛宮士郎と周辺人物まとめ【fate】 - NAVER まとめより

 

 魔力を使って物体を複製する彼の魔術は、物体の内部映像の視覚も可能で、作中では家電が壊れた原因を探るべく手をかざし「トレースON」と意識を潜り込ませることにより故障の原因を突き止めることができた。

 例えの一つだが個人的にこの解釈が好きで、仕事中であろうと街中であろうと気になる溶接ビードを見つけると、そっと手を当てて『トレースON』と呟く。

 さすがにアニメと同じ、とまでにはいかないが、製作されたものがどのような材料でどのような経緯で、どのような開先形状、溶接条件で、どのような想いで形を成したかに想いを馳せ、仮想の内部映像を描いていく。

 

何故か。 

溶接者は孤独だと感じることがある。

 

閉ざされた暗闇の中で、自分の感覚を頼りに溶接金属を形成していく過程は、己の力量が否応なしに反映され高熱を帯びる。ひとりの夜を好む人間も、真昼の孤独に耐えられるようにはできていない。もし自分と同じ職種の人間が自分の範疇を越えた技術をそこに残しているのなら、手に取って肌で感じたいと思うのは自然なことある。また、それを自分の技術で模倣したいと身震いするのは当然である。

 

 

、、、

 

 

あれ?
何か話が固くない?

 自分なりに「10倍見ろ」をまとめたつもりがヘンテコな話になってるけど、まあいっか。

 

実は、記事を書き進めるにあたって「技術の言語化」を今回ほど苦しんだことは無かった気がする。大まかな構想は出来上がりいざ書いてみると、途中から「何を伝えたかったんだ?何のためにこれやってるんだ?」と自問自答が始まって全然進まなくなる。2、3日放っておいてから少し手直しするの繰り返しで余裕で一か月過ぎてた。でもやっぱり伝えたい。想いはあるのに想いだけではどうしようもない。表現するスキルが無い。スタインベックの『怒りの葡萄』も読み進めたい。読むのが苦痛なのに。文章の書き方がそのとき読んでる小説に引っ張られる。時間は過ぎる。ああ、こりゃこりゃとなり、まあいっかとなる。記事をアップしてしまったので、あとは読んだ人がどう受け取るかだけだ。

 

いやあ、センさん、申し訳ねぇ。
伝えるのって難しい。 

まだまだ修行不足ッス。
いつかまた書くけどね。