ども、造船所で働くSSめたるです。
私の職場は職人達の集団で、溶接技術を駆使してモノを作っています。縦社会の色が濃く、経験の長い親方勢を見てると、上役にはへつらい、その反面おとなしい後輩や見習いにはオラオラ態度をしてる人が多い印象でした。
この業界に足を踏み込んだ20年くらい前でも「見て覚えろ」や「言われなくてもわかるだろ」親方がいて、罵声だったり、物が飛んでいたりと『常識って何?何で年だけくって何も出来ない人が偉ぶってんの?』と首をかしげる時が何度もあったんです。
この業界に限らず、先輩と後輩、上司と部下、親方と見習いのように日本特有の「上下関係」で悩むことは多々あるとは思いますが、この当たり前の関係である「上下関係」が、日本ではいつ頃から始まっているのか気になって、ルーツを調べてみました。
とはいえ、Φ12㎜の穴にワッシャーを使ってM8ボルトで締め付けるくらい、かなりざっっっっくりです。
ルーツは儒教
さてさて、この「上下関係」を調べていくと、はるか昔の飛鳥時代までさかのぼりました。
いきなりですね。
中国の属国だった日本が
「いえいえ、日本はこれから日本国でやっていきま~す。そういうわけで初元号を大化にしま~す」
でお馴染みのあの飛鳥時代。
この飛鳥時代に、中国から仏教と一緒に日本に伝わったのが「儒教」。この「儒教」は大まかにいうと、
- 人徳を持つ者が成功して会社や国を大きくする
といった内容で、このたび2024年度に一万円札の新しい顔になる渋沢栄一さんのバイブル的存在だったり、徳川家康もこの「儒教」を江戸幕府の統治に役立てたそうです。
「論語」と言ったほうが馴染みがあるかもしれませんね。儒教、論語、孔子の3セットで覚えておきましょうか。
日本の始まりは仏教
日本では文字すらままならなかった飛鳥時代に中国から輸入された儒教ですが、この儒教の教えの一つである「長老と祖先崇拝の尊重」がすんなりと日本人に受け入れられたようで、よく聞く「忠誠心」は領主や天皇への忠誠として使われるようになりました。
しかしながら、当時の日本は仏教フィーバーで、飛鳥時代から奈良時代、平安、鎌倉、室町と仏教確変高継続が続き、戦国時代になって「何が仏教じゃい!」と仏教が弾圧されます。
戦国時代で仏教確変が打ち止めになり、江戸幕府を開いた徳川家康によって、蚊帳の外に追いやられていた儒教が、ようやく陽の目を見ることになります。
江戸時代の儒教体制
徳川家康の凄いところは、今まで仏教による国の統治が何故失敗してきたのかということを念頭に置き、新しく儒教を用いて国の体制に作り替えたことです。
ピラミッドの頂点に「本寺」を置き、底辺に「末寺」を置いた本末制度や、寺を中心とした区画整理を行い、戸籍を管理させた「寺壇制度」など、歴史上の人物で家康ほど適材適所に優れた人物は他にないと言われるほどです。
家康の残した言葉を集めたものを「神君遺訓」といって、そのほとんどが「論語」の中身を家康流に言い換えたもので、実は孔子の考えに帰することがわかる。と渋沢栄一さんは「論語と算盤(そろばん)」という著書で指摘しています。
その後、武士の間で広まった朱子学(儒教の一つ)が江戸時代の倫理の基になると、「武士道精神」や「忠義」といった考え方が広まります。主君の仇を臣が討つ赤穂浪士の「忠臣蔵」が民衆の間で喝采を浴びたのも有名ですね。
その後、徳川幕府が終焉を迎え明治時代へ突入することに。
ここまで時代の流れを見てみると、日本史の始めから現代まで私たち日本人は上下関係にどっぷりとはまっているんですね。
ちょっとでも欧米のように「横にフラットで平等で、フランクに挨拶できた時代があったのかも」と思ってましたが、どうやらそんな時代は日本にはまったくもってゼロのようです。
親方と見習いが「横にフラット」という関係は日本では理想のような気がしてきました、、、が、もう少し時代を進めて見てみましょう。
明治時代は国家神道
さあ、明治維新を経て欧米列強の帝国主義に追いつけ追い越せで日本は富国強兵を目指すこととなります。
当時、長い鎖国が終わり近代化となった日本には、諸外国から様々なものが入ってきます。アーク溶接もこの明治時代から記録に出てきますが、その話はまた次の機会で。
軍事国家となった日本の軍部では上の命令は絶対服従。下の者が上の者に逆らうなんて暴力による厳罰の対象でした。今では考えられないけど「鉄拳制裁」というやつですね。
なんか聞いたことがあるなと思ったら、私の記憶の中にこういう職人がポツポツいたりします。意見ではなく従順を求められるので、何かしらの間違いに気づいても「ハイと言っとけばいいだろう」になります。
この時代に、後の先輩後輩システムに影響を与えた「世帯主制度」を一つ紹介します。
1898年の民法でこれは年功の特権の規則、伝統的な家族制度を強化し、家族内の階層的価値の明確な定義を与えた。これはコシュセイ(戸主制「世帯主制度」)と呼ばれ、世帯主が家族を指揮する権利を持ち、長男がその地位を継承するもの。これらの法令は、 第二次世界大戦が終わりに日本が降伏した後、1947年に廃止された。
Wikipediaより
つまり長男が最上の教育を受けることができて、相続も長男だけ。まさに長男最強時代到来。戦後の制度廃止以降も日本社会に根強く残ってて、「長男=偉い」の図式があちらこちらで見事に出来上がってる状態が続きます。
戦後、GHQにより神道指令で「OH! 神道ダメヨ。ドンナカミモOKデスネ」発言で、天皇は神ではなく象徴となり信教の自由が認められることとなりました。学校教育でも能力よりも年齢を重視し、先輩後輩の関係が確立されていきます。
これだけ上下関係の歴史が長い日本ですから、今の時代でも年上や先輩が偉いと思うことはむしろ当たり前の事で、「偉い=威張っていい」と思う人がいることも又、当たり前ですね。
とはいえ、面倒見がいい先輩が威張っても気になりませんが、え?何であの先輩が威張ってんの?はご遠慮願いたいものです。
さて、「上下関係」についてかなり断片的ではありますが歴史を通して見てきました。めちゃめちゃ根深いものですね。これじゃちょっとやそっとじゃ私たちの意識は変わらないかもしれません。
というのも、今の時代は「令和」
この「上下関係」が技術の継承としてはシステム的に良くないんじゃない?という問題があります。
『技術と人格が備わった職人』と、『意欲にあふれ社会性に富んだ若手』であれば問題はありませんが、現実的には『技術と人格が備わった職人』ってそうそういませんよ。
たいていは、技術はあるけど一人にしか教えないし伝え方がいまいち、とか、技術はあるけど自分中心で怒りやすかったり、技術もないのに口先だけ、等々。それこそパワハラ、モラハラなんて論外の時代。なかなかに人格が熟成された職人は稀有なのが現状です。
するとどうでしょう?
人材不足のさなかに『意欲あふれる社会性に富んだ若手』が入ってきたとしても、若い芽からしっかりとした花を咲かせることが、今まで当たり前だった「上下関係」で出来るのでしょうか?今の「令和の時代」に出来るのでしょうか?
若手のころは誰もが技術の習得に夢中です。できなかったことが出来るようになる。理解できなかったことが理解できるようになる。一人で作れなかったものが一から十まで一人で作れるようになる。互いに尊重しあえる仲間が増えて、単純にワクワクします。
このワクワクを実感できる環境を、我々先輩職人が提供できているのか?今一度考える時期が来ているのかもしれません。
もし、先輩になったら技術をどうやって伝えますか?
縦社会の上下関係?
お互いフラットな横関係?
それとも…
今回はこの辺で。
ではでは、より良い溶接ライフを!